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断食11日目

12月11日 断食11日目 69,2キロ 朝から曇り小雨、今日は朝起きにくく、軽い頭痛がしたが、ヨガを1時間をすると楽になった。昨夜着いた岩本さんはまだ動の世界にいる。ここに来るまでに2日やって来たというのでもうそろそろ静の世界に入っていくのだろう。途中3日間断食に人も来るが恐らく動の状態で帰って行くのだろう。 次第に静の世界に入っていくので動の状態の人との接触がだんだんキツくなっていくのだろう。 朝ヨガをするまでは動けない。アマゾンで買った中古のDVDだがもっと来ていてよかった。 昨日、快晴だったっ時にフッと「今日阿蘇山の景色を観に行った方良い」という気持ちになって山本さんと観に行ったが、やはり今日は雨、昨日行っていなかったら山本さんは明日帰るので阿蘇外輪山の絶景を観に行けないところだった。二〜三日前からフト思ったことが的に当たる。「直感」が冴えてきている。 導かれているということだろう。 人間に死があるということは、戦争の時は多くの人たちが死んでいった。親、兄弟、親類、友人、その死を経験することによって多くの学びがあり魂の進化がある。 今の日本のように平和で多くの人間が今ある恩恵に慣れて魂を磨かなくなったときに、ガンという病気が現われ多くの人を死に至らしめる。しかし、その人達の死を目前にした心境というものは済んで美しい、これはある意味魂の進化ではないだろうか。 どんなにお金や財産があったとしても、どんなに高い地位について権力をもったとしても ガンにかかって余命3カ月ということになったら、財産や権力は使えない。 日増しに衰えゆく自分自身に焦りを感じながら、為すすべがない。それが死。 もちろん死ぬ前に、自分の人生の誤りを悟り、改心し、その後の生涯を人を導くための善に使うのが一番だと思う。 そう考えると人に死があるということは素晴らしいことで、魂進化の過程においてなくてはならないものではないだろうか。 絶体絶命、究極の磨きが「死」によっての学びではないだろうか。 山本さんが5日間断食で明日高知へ帰るので、岩本さんと3人でお土産を買いに小国の街に出た。酒屋で焼酎を買って、あとキヨラカーサでトマトケチャップと蜂蜜を買い北川八郎先生のところで、焼物の湯飲みや茶碗を、そこに薬屋さんをしている女性が、北川先生がお話をされるのに一緒にこっちへどうぞ、その後、その女性の食事が出てきて、女性は僕達に気を使って「あちらで食べます」と言ったが北川先生が「いいよ、この人たち気にしなくても」で目の前で食事を…。 これはキツかった。以前もボクと久保先生が北川先生のところで断食をした時に目の前で食パンにマーガリンを塗って、シャリ、シャリ、…。 これは拷問か修行か! 今回もそれがありました。 毎回あります。 きっと、わざとですね…。

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2010年12月17日 15:40に投稿されたエントリーのページです。

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