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2010年05月 アーカイブ

2010年05月04日

長居公園ウォーキング

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長居公園ウォーキング

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長居公園ウォーキング

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長居公園ウォーキング

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大阪一の夜景 …らしいです!

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お好め焼き

IMG_0907.jpg マンダム時代の後輩が遊びに来ました。小杉君と内藤君です。あと辻君もいるのですが、ちょうどトイレに行って写真には写っていません。全員「100キロウォーク完歩組です。」史上最高にうまいお好め焼きを食べに行ってラポット事務所で飲んでいるところです。

PAPSの近藤さん

IMG_0928.jpg 昨日今日はPAPS近藤さんのとこの合宿でした。もう今回で11年目! 時というのは過ぎるのが早いものです。

2010年05月16日

たかぞえ君

IMG_0954.jpg たかぞえ君です!  ケンジ・茅ケ崎店に入りました。  これから頑張っていくルーキーです。

EMA栄 新店

IMG_1019.jpg EMA大橋雅旺さんの新店、5億かかったそうです!! 

ちゅら海水族館

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ヒトデ

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なんとか海老

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2010年05月22日

沖縄

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2010年05月27日

初動教育法

IMG_1097.jpg スタッフの顔が死んでいるのは経営者や上司のせいです!毎日どんな話をしていますか? 「初動教育法」この本は僕の大好きな田中真澄先生の本です。次回の心の経営セミナー寺子屋で使う本です。いい本です。

2010年05月29日

世の中が変わる…はずです。

以前、フッと思ったことがあるのですが、ひょっとするとブログにもかなり前に書いたことがあるかもしれませんが、2020年〜30年くらいになると人類は動物を食べる習慣がなくなっていくのではないのかと思います。今回の宮崎の口蹄疫の問題でも、狂牛病の問題でもそうですが何万頭もの牛が殺されて埋められていくでしょう。コレ人間だったら大虐殺ですよ!人間界でも、ほんの100年前以内の間に大虐殺を何度もしていますが、牛がもし話しができたら虐殺について語ることでしょう。異常な事です。一方犬や猫は葬式までして、「動物葬」が問題になっていて、ひどい人は葬式業者の詐欺にあって犬猫の葬式に数十万円取られて怒っていたり、牛は何万頭殺されて埋められて、犬猫は葬式までする。クジラは殺しちゃいけないと言っている国が牛豚鶏は大量に食っている。というこの異常さに誰も気づかないのだろうか?今人類は全体に思い上がっているのではないのでしょうか! このままで何もなくいくは様な事はないと思うのは僕だけでしょうか。毎日のニュースの異常さ、マスコミの異常さ、人類の利己的さ、は止めどないですね。人がこの世に生まれてきたのはそんなことするためではないでしょうに。 

東広島

今日は生まれて初めて東広島に来ています。新幹線の駅に東広島という駅があったというのはゼンゼンしらなかったですが、この地は空港ができ、人口が増え、今後栄えていく地になるのだそうです。日本国内でも珍しく人口が増えている数少ない場所です。広島はいつも長い断食をするときに帰りに一泊する僕にとっては成就の地であり、安心の地であり、ボクは広島大好きです!

オジサン ?

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2010年05月30日

41日間断食

仏教で言うところ「輪廻転生」(魂は何度も生まれ変わって修業を続けて永遠に進化向上していく)に例えて言うならば、仮にボクの魂が30億年生きていたとして、今回ボクが行う41日間断食がその1万年分くらいの修業に値するならば、今世での41日間の断食は価値があると思いませんか? まぁ、ちょっと現世的な経済的な置き換えの例えかもしれませんが「魂の向上」「悟り」というのはそんなことではないのかと最近思います。人の魂というのは何度も生まれ変わって修業をし「優しさ」や「感謝」や「利他」というような事について悟り、そして向上していく、またその「優しさ」や「感謝」なども魂が進化していくにつれて深さや大きさが増していき魂の深まり度合いが進化しくすんだ光り方が白く透明な輝きに進化していく、今回の41日間断食の価値を説明するならば今のボクに分かるのは、そんなところですね。

その続き

例えば、自殺することによって1万年ぶんの魂が後退したり、人を殺すことによって8千年魂が後退したり、人を騙してお金を奪ったり、不倫をし相手の家族を苦しめたりすることによって3千年くらい魂が後退したり、親不孝することにより200年魂が後退するとしたら、また、人助けやボランティアによって5百年魂が進化する。ということが目に見えるとしたら、どうでしょうか? あなたの行ないは変わりませんか? ただ、ボクの言っていることは現世的な基準で言っていますが、あの世には時間空間がないそうです。もっと違う尺度なのでしょうが、感覚としては合っていると思うのですが…。

「利己」と「利他」

IMG_1101.jpg 例えば店のミーティングなどで皆から意見が出ないで沈んだ感じになる。その時に場の雰囲気を盛り上げようとする人、この方は「利他」ですね。 反対にそのような雰囲気でも黙ったままで放っておく人、これは「利己」でしょう。 自分のことだけで他を思いやることをしていない行為、利己と利他にも大小があって、ボランティアや人助け、という大きな分かりやすい利他もありますが、会議で発言をしたり、場を盛り上げるという小さな利他もあるのです。その人、その店、その組織でそれぞれの価値観がありますが、NEXTでも書きましたが、「どういう基準で自分が生きているのか」と言うぐらいの「生き様の基準」のようなものだと思えばいいのですけれども。 例えば、すごく簡単な話しをしますと、価値観と言うものに「上中下」があるとします。 「下」というのは、三段階で一番下が「下」ですよね。 「下の価値観」というのは、「損か得か」で物事を考える価値観、損得で物事を考える。 損得で物事を考える時というのは、これをやったら損、これをやったら得、得だからやろう、損だからやらないでおこうみたいな、損得で考える価値観。 これは、悪いというわけじゃないんですよ。ただ、こういう生き方をしていた場合には、周りに集まってくる人というのは、損得で考える人が多く集まってくるようになるわけです。 「浅く短い付き合いの人」が多くなりやすく、自分が順調なときはいい、だけど、自分が調子悪くなったときはパーっと蜘蛛の子を散らしたように人が離れていくんですね。だから、損得というのは、上中下でいうと下なんですね。 「中」の価値観に「善か悪か」という価値観があります。 善悪という価値観はですね。 これは悪くはないです。 ただ、善悪という価値観は難しい部分がありましてね。 正しさを求める。 モノゴトを判断するとき、これは善、これは悪、これは正しい、これは間違い、という判断をする。判断するリーダ―自身が、人物ができてる人、あるいは器の大きい人だった場合にはいいんですが、器の小さい人、あるいは言い方変えると、心の狭い人だった場合に、非常に寄り付きにくいですね。 例えば、そういう人が上司になった場合、正しいことを言っているけれども何か腹が立つ、みたいなね。そんな上司いるでしょう! 正しくっても何か言い方が腹が立つ、みたいな場合がありますよね。 「一番上」の価値観に、その人の行いが「美しい」か、あるいは「醜いか」という価値観があります。 この美しいか醜いかという価値観というのは非常に永い目で観た価値観ですね。 日本の場合非常にいい文化をもっていて「武士道」というものがありますね。 一時、「国家の品格」という本が売れました。いい本ですね。美しい行いというのを重要視しています。 昨年、「歴史人物に学ぶ」という講義をしました。リーダーの人向けにするんですけれどもね。歴史人物に学ぶという講義ですから、ボクも歴史のことをいろいろ調べるわけですね。 そうすると、日本の歴史の中で武士道というのは非常に優秀な考え方ですね。明治の頃の話を読んでいると、明治維新のちょっと前ぐらい、江戸時代が終わる頃ですね、そのころの話しを読んでいると、外国(オランダだったと思いますが…)から来た人が、日本の民族というのはすごいと。 何がすごいのかというと、例えば、何か悪いことをしたときに、自分で自分の腹を切って始末をつけることができると。これはほかの国にはなかったらしいです。 恥ということを非常に重んじる文化で、例えば、何か自分が悪いことをしたときに、「お前はいけないことをした奴だ、切腹だ!」と言われたら、そのまま家に帰って自分で腹を切ってでも始末をつける。当時の外国の場合は逃げるらしいですね。逃げて捕まらなければラッキーみたいな感じでね、逃げるわけですよ。ところが、日本人は自分で自分のことを始末することができる。それはなぜなのかというと、逃げて命が助かるよりは、「あいつは恥ずかしい奴だ。」と言われることの方が生きてるよりも辛いことだから、だから腹切ってでも、自分で自分の始末をつける。 こういう文化を持った民族というのは日本人ぐらいだったんですね。 これはね、日本人が美しい行いができているかどうか、ということに対しての高い価値観というのを持っている民族だという事なんですね。 そして、このバリュー=価値観をしっかり魂の底に持っているリーダーの行動は終始一貫していてブレナイという事になるんですね。なぜなら価値観というものはその人の行動そのものだからです。 例えば、道にゴミが落ちているとします。 下の場合 = 拾わない(利己) 中の場合 = 拾うが拾わない人を心の中で責める(まだちょっと利己) 上の場合 = 拾い続けて人に感動を与え 感化されてゴミを拾う人が続出する(利他) こんな具合です。

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