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神様に本当に祈ったことありますか?

僕は今から約10年前に脊椎腫瘍という病気に罹り脳外科の医者から「このままだとアト半年後に死にます」と言われました。
10年程前(症状はさらに5年前)のことですが、最初は原因不明の頭痛に襲われました。
はじめのうちは、たまにしかならなかったのですが、そのうち二週間に一回、一週間に一回、毎日、という具合に、初めは軽い頭痛がだんだん鎮痛剤でも効かなくなり、水道のお湯の温度が分かりにくくなり、その頃には手の指先が痺れはじめ、コップやペットボトルなどを自分では持っているつもりでも、ストンと落としてしまったり、カッターシャツのボタンを一個止めるのに5分くらいかかってしまったり。大きな病院に幾つか行ったのですが原因が分からないまま頭痛や痺れがドンドンひどくなるという不安な日々が続いていました。そんなある日、僕が子供の頃から風邪などを引くと通っているおばあさんの町医者に頭痛薬をもらいに行った時に、「あんた頭痛や痺れが起こるのは首の骨に異常があるのかもしれないから一度首のレントゲンを撮って見なさい。」と言われて整形外科に行き首のレントゲンを撮ったところ「どうも三番目の首の骨の辺りがおかしい」ということになり「大きな病院を紹介するからMRIを撮りに行きなさい」と言われて大病院に行き、ドーム状のところに入り MRIという機械で首の断面図を撮りました。
その時のレントゲン技師の様子が病院に行ったときと、MRIを撮り終わった時で明らかに変わるのです。こんな感じです。最初病院に行った時のレントゲン技師は
「はいっ。そこに寝て、動かないように。」と言う具合にちょっと,つっけんどんな感じだったんですが、
MRIを撮り終わった後では、
「大丈夫ですか? 歩けますか? この段降りられますか?」
というように,やけに親切になっているんですね。
今でも鮮明に覚えていますが、そのMRIの結果を脳外科の医師に聞きに行ったことのことです。レントゲン写真を大きな蛍光灯の台に挟みながら写してみせてくれたのですが、「うーん。伊藤さんこれはハッキリ言って手術ですね。」
「えっ!手術ですか… 。」
「このレントゲン写真を見て下さい。伊藤さんの首の骨の3番目と4番目の骨の辺りですが脊髄に小指の第一関節くらいの腫瘍が出来ています。これは手術でなければ取れません。」
「先生。手術しなければどうなるんですか?」
「死にます。」
「どれくらいで死ぬんですか?」
「あと、半年くらいですね。」
「… 。」
死ぬと言われたもんですから僕も思わず、
「それは、どんな死に方ですか?」
「息ができなくなって死にます。」
「その息ができなくなって死ぬのは、ジワジワですか? それとも、ある日突然ですか?」
「ある日突然です。」
その時期には僕の4人目の子供が出来てまだ半年くらいしか経っていなかったので
手術しかありません。
「… 。分かりました手術します。」
「手術すれば助かるんでしょうか?」
「手術しても4割は死にます。」
そして僕の親父と妻を呼び、手術の承諾書を書き、一週間後にベットが空いたので入院しさらに一週間後に手術をしました。
脳外科と整形外科の合同手術で、首の七つある骨のうち二つを取り(砕き)除き、首の中の大きな血管を切らないように腫瘍を切除し腰の骨を移植し金属で留め縫い合わせるという大手術で結局13時間30分かかりました。
手術は、朝、看護婦さん8時頃やってきて、全身丸裸の上に手術用の服を着て、手術用のベットに寝て肩に二本注射を打ちます。
そうすると体がだるくなり、そのまま手術室に連れて行かれます。よくテレビで見るような天井に大きなライトが幾つも付いている広い部屋です。そして一本また注射を打たれると目が開いてられない状態になり、さらにもう一本注射を打たれると、視界がグニューッと歪み、数秒後にはもう記憶がありません。
これが全身麻酔ですね。次に目が覚めたのは夜中の二時頃、やけに体が寒くて目が覚めました。
体に電気毛布を巻いてもらって寝ていました。
首は後頭部から背中にかけて縦に25僂らい切ってあり、ギブスのようなもので止め、
頭の両側には砂袋を置き固定してあります。後で聞いたのですが寒かったのは手術中出血を少なくする為に体温を下げて手術するからで、砂袋は動かすと首の骨が歪んでくっつくからだったんですが、
その後一週間集中治療室、さらに一週間看護婦さんの詰め所の横にある監視カメラの付いた部屋に移り、そしてようやく普通の病室に移ります。
結局4ヶ月入院し、一ヶ月自宅療養しました。
僕が入院していたのは脳外科病棟で、非常に死亡率が高く頻繁に人が死にます。
少し前に談話室で僕と話をしていた患者さんも個室に移り家族が多く見舞いに来るともう二、三日で亡くなっています。
入院中そんな光景をたくさん見てきました。
僕自身は開いてみると腫瘍が良性だったので癌ではないので転移していなかったので命は助かりました。ただ腫瘍は血管の周りは残っていて全部取り切れたわけではないので今でも年に二度ほど病院に行ってMRIを撮り再発していないかだけは検査に行きます。
本当に幸いなことに僕は命が助かりましたが医師に「死にます」と言われた当時は本当に死ぬかもしれないと思っていました。
本当にです。人間本当に死ぬかもしれないと
思うと真剣に考えます。僕も考えました。
死んだらどうなるのだろうか。
天国や地獄はあるんだろうか。
あるとすれば確実に地獄行きだろうな。
あの人にも謝っておかないとな。
あの人にはお礼を言っておかないとな。
神様はいるんだろうか。
神様がいるとして、もし君はもうスグ死ねけど一つだけ願いを叶えてやろう、と言ったら何を願うだろうか。
そして神様に祈ったことは
「僕がもし死んでも、どうか家族だけは幸せにして下さい。」と言うことでした。
お金や財産ではなく家族の幸福でした。
「何もいりません。妻や四人の子供達を幸せにして下さい。」
これが僕が死ぬかもしれないという時に本当に神様に祈ったことです。

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2007年01月23日 00:40に投稿されたエントリーのページです。

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